おはようございます。今日は八木山から森田です。
まず、及川(葵)くん、お誕生日おめでとう。
今年も華麗に齢を加えてください。
星のショットはなかなか難しいよね。
私の記憶の限り、幼少期に一度だけ天の川を見た気がします。
しかし、それが実際の記憶なのか、イメージで作られた記憶像なのかは定かではありません。
すさまじく美しかったのを覚えています。
それはあまりにも美しすぎて、夢だったんじゃないか、と今も半分疑っています。
涼宮ハルヒシリーズでも繰り返し出てくる難題ですが、
たとえば、
世界は実は三年前の七夕に始まって、そのときにこれまでの歴史や私たちの記憶もかのように作られた、
ということを、論理的に否定することはできないんですね。
「確かに10年前におれはあそこで、こういうことをしたんだ!」
と声高らかに断言しようが、
「そういう記憶そのものを3年前に造られたかもしれない」、
という可能性は打ち消しえないのです。
「これは300年前の遺跡であーる」
と専門家が眼鏡を触りながら主張しようが、
「300年前にあったかのような遺跡がそのとき作られたかもしれない」
という可能性も打ち消しえないのです。
そんなSFチックなことは空想だけで楽しめばいいのですが、
現実でも記憶違い、といったことはよくあります。
言った、言わない。
やった、やらない。
もしひととひとがそこですれ違った時、
客観的な証拠が存在しない限り、それは一生解決しない問題です。
記憶は極めて簡単に作りかえられます。
いろいろ書きたいところですが、また期を改めて。
小出しにしていきます。
こういうテーマが好きな人は、
有名どころでは、「目撃証言」をめぐるおもしろい研究もありますので、
ぜひ私に声をかけてください。
今日もいつしかは記憶となる。
あるいは、記憶にもならないかもしれない。
でも、今日が積み重なって人生が形作られる。
さぁ、どうする?
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