2011年7月7日木曜日

7月7日

おはようございます。今日は八木山から森田です。

まず、及川(葵)くん、お誕生日おめでとう。
今年も華麗に齢を加えてください。
星のショットはなかなか難しいよね。


私の記憶の限り、幼少期に一度だけ天の川を見た気がします。
しかし、それが実際の記憶なのか、イメージで作られた記憶像なのかは定かではありません。

すさまじく美しかったのを覚えています。
それはあまりにも美しすぎて、夢だったんじゃないか、と今も半分疑っています。


涼宮ハルヒシリーズでも繰り返し出てくる難題ですが、

たとえば、
世界は実は三年前の七夕に始まって、そのときにこれまでの歴史や私たちの記憶もかのように作られた、
ということを、論理的に否定することはできないんですね。

「確かに10年前におれはあそこで、こういうことをしたんだ!」
と声高らかに断言しようが、
「そういう記憶そのものを3年前に造られたかもしれない」、
という可能性は打ち消しえないのです。

「これは300年前の遺跡であーる」
と専門家が眼鏡を触りながら主張しようが、
「300年前にあったかのような遺跡がそのとき作られたかもしれない」
という可能性も打ち消しえないのです。


そんなSFチックなことは空想だけで楽しめばいいのですが、
現実でも記憶違い、といったことはよくあります。

言った、言わない。
やった、やらない。

もしひととひとがそこですれ違った時、
客観的な証拠が存在しない限り、それは一生解決しない問題です。

記憶は極めて簡単に作りかえられます。


いろいろ書きたいところですが、また期を改めて。
小出しにしていきます。


こういうテーマが好きな人は、
有名どころでは、「目撃証言」をめぐるおもしろい研究もありますので、
ぜひ私に声をかけてください。



今日もいつしかは記憶となる。

あるいは、記憶にもならないかもしれない。

でも、今日が積み重なって人生が形作られる。



さぁ、どうする?

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