本音とはいったい何でしょうか?
よく問題になるのは、twitterなどの「裏アカウント」で悪口などが発覚したとき。
「あいつは表向きはああ言っているけど、本音はそう思ってたんだ」とかですね。
しかし、私が思うに、本音とはそんな一枚岩ではないのです。
まさに文字通り、表と裏というだけです。コインの表と裏などと言われるように。
表向きニコニコしているのは、それは「表側の本音」。
裏でぐちぐち言うのは、それは「裏側の本音」。
なので、「裏側の本音」を聞いたときに、「じゃあそれをぶちまければいいじゃないか」などと言ってしまうのは、「表側の本音」を軽視しているといえます。
「表側の本音」もまた、その人にとっては大事な要素なのです。
つまり、その人自身がコントロールできている限り、「表と裏」両面があっても当然構わないですし、それが自然な人間のありようだと思うのです。
ただし、その「コントロール」ができなくなってしまったときが問題です。
それは、「表と裏」があまりに乖離してしまっている事態だからです。
たとえるならば、コインの表面と裏面が剥がれてしまっている状態といえるでしょう。
そうなると、そのコインはすでに崩壊し(かかっ)ています。
コインが崩壊するということは、その人自身の安定性が脅かされているということです。
表側ばかりを重視しても、裏側ばかりを重視しても、バランスがよくない。
その両方のバランスを保つことが、この世の中を生きやすくするということではないでしょうか。
もし、表側の面(つら)に嫌気がさしているという時には、そのバランスが崩れかけているということでしょう。
そういうときには、裏面が切り離されて一人歩き(つまり暴走)しないように、大きな器でそれを包んでコントロールすることが大切です。
そのプロセスを経て、あなたというコインはより厚みと重みを増すことになるでしょう。
もしひとりでその作業をすることが難しいとき、私たちカウンセラーは「心の専門家」として、そのプロセスを歩む場、そしてその器を提供します。
では、また。